今年度も、残りわずかになってきました。
久々に教育コラムを紹介します。
《社会が子供を育てる》
日本生涯学習総合研究所理事 伊藤俊夫昨秋の政府の「事業仕分け」で、体験活動は学校で行うから学校以外の体験活動機関に国費を支出するのは無駄だ、との発言があったとか。人づてなので、その真偽は不明である。だが、学校が有能なのは皆が認めるとしても、教育のすべてを持ち込まれたら、多忙な学校はパンクしてしまう。
そういえば、箸(はし)が正しく持てない子供が増えたらしい。箸をしつける適齢期は直観思考時代の4歳からだろう。「これでだって、豆が挟めるよ」と主張する論理思考に入った小学生の箸の持ち方を矯正するには、大きなエネルギーが必要になる。
だから、矯正を学校でやってほしいと言われると、ややこしい。なお、箸が正しく持てれば鉛筆の持ち方という、次の課題が容易に解決できる。学習には順序(累積)性があるからだ。餅(もち)は餅屋である。民俗学者の柳田国男も、学校教育は個々人の可能性を伸ばす非凡教育、地域のそれは社会生活に必要な事柄を群れ(ぐるみでの実践)によって、誰もがごく普通に学ぶ平凡教育だと言っている。なお、学校は在るべき姿を求めて能率主義、地域は不可測状態の体験主義、と学習の違いがある。このため、前者だけでは責任や不評を嫌って華麗な横パスを続け、シュートしないサッカー選手を生み出しやすい心配もある。
考えてみると地域連帯性が豊かな農村型社会から、職住分離の社縁型社会への移行に伴って地域の教育力が後退し、その代替を学校に求めた。しかし、シュートが打てる決断力、活動意欲、社会協調性などをはぐくむには実戦が有効である。そこで学校の疑似体験のみでは不十分だから、効率的な体験を主役とした今日風の平凡教育を新構築する必要が急浮上した。この需要を踏まえ、宿泊型の青少年体験活動機関などの社会教育活動が創出されたわけである。外国の友人たちもこの動きを見て、青少年教育に注ぐ国の熱意に感銘を受けていた。
ともあれ、子供の教育は単線系でなく、社会のあらゆる教育的働きを総合する姿勢が大切である。





















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